続 ある日の臨死体験
人が亡くなるのは、とても悲しい事です。
その人の好きだったもの、植物や車、書籍といった物体はまだそのままそこにあるのに、その人だけがいないのです。
陽の光が差し込む朝のリビングに、いつもと同じコ−ヒ−の香りは漂うのに、その人の笑顔も言葉も、スリッパの音もしない時、何か説明の付かない「衝動」に駆られてしまいそうな喪失感は、静かでありながらも、着実に、心の一番暖かな場所をむしばみ始めるのでしょう。
人はこの世で、誰かの手を握り締めたときから、やがて何人かに増え、家族という仲間の深い絆を育みます。
人がその人生を終えて旅立つとき、その人だけの世界が始まるように思えますが、残された人々の思い出の中に生き続けるとき、その魂は、けして孤独ではないでしょう。
あのトンネルの向こう側で会った少年が亡くなった当時、私も酷く悲しみました。
若くして未来が途絶えたのだと思うと、供養せずには居られませんでした。
皆で楽しく話をした思い出がよみがえる時、お茶やお菓子や果物など供えて、穏やかな魂の日々を祈りました。
それであのとき走ってきて、私に笑顔を見せてくれたのかとも思います。
あの日はその子の命日でした。
その日に私に穏やかな姿を見せてくれて、またこの此岸に送り届けてくれたのかもしれないと、思っております。
画像は、「夕暮の、燃えるような雲」でした。
今日のフィ−リングは、Grover Washington Jr.グローバー ワシントン ジュニア氏の 「Winelightワインライト」かな